知識人の反逆

私が学部生としてイェール大学で学び、後に博士号を取得するためにハーバード大学で学んだこと、ゴシック様式の建物の中を歩き回り、自信と目標を持ち、優秀な学者たちから物事の考え方や仕組みを学ぶ機会を得たことは、教授としてキャリアをスタートした私にとって、確固たる誇りとなった。しかしながら、そんな私の財産もいつしか悪夢や茶番に姿を変えてしまった。

イェール大学やハーバード大学で私の級友であり、教授として私の同僚であった思慮深く洞察力のある人たちが、過去20年間に起こった米国の恐ろしい体制の腐敗にどう反応するかを私は目の当たりにした。悲しいことに、私はあの古き良き時代に深い洞察に触れたり心の交流を行ったりした瞬間を懐かしく思い出す一方で、彼らが知識人として、弁護士として、医師として、技師として、経営者として、教授として、政府関係者として、いかに同胞を裏切り、あの学問の殿堂で得た知恵を不正と偽善の掃きだめの中に深く埋め込んでいったかを観察したのである。

つまり、彼らは、自分たちが受けたエリート教育の意義をすっかり忘れてしまったのだ。それは、自慢できるものでもなければ、ヨットや競走馬のように所有しているものでもなく、クラブに入会するための特別な鍵でもないはずである。いいや、そうではない。そのような考え方は、モラルの深刻な崩壊から生じたものである。

その教育はまさに特権であったのだが、その一方で絶対的な義務を伴っていた。それは、社会に奉仕する義務、国家の利益のため、そして何よりも社会制度の仕組みを学ぶ機会のない人々の利益のために、勇気をもって立ち上がる義務がある。

その通り、あなた方には、ほとんど人が手に入れることのできない特別な道具が与えられた。その道具は、あなた方がその道具を使って、特に必要な時、危機の時に、社会を助けることができるように、あなた方に与えられたものなのである。

そして、必然的にその危機の瞬間が訪れた。2000年の選挙がやってきたのである。連邦政府全体が多国籍企業と一握りの富裕層に乗っ取られてしまった瞬間である。私が周囲を見渡してみると、私の同僚や友人たちは何事もなかったかのように振舞っていた。彼らはニューヨーク・タイムズ紙の作り話を自分たちの福音とし、自分たちの特権にますます強くしがみつくようになった。

そして、タロットカードの最後のカードであるツインタワーが崩壊し、黙示録にもあるような現代の奇跡が発生した。言い換えれば、物理学を一学期間履修した高校生なら誰でも見抜くことができる大規模な詐欺事件である。

またしても、イェール大学やハーバード大学の同僚は、沈黙していた。彼らは多くの場合、シンクタンクのセミナーやテレビに出演し、このあからさまな作り話を宣伝し、終わりのない外国との戦争や、億万長者への富の移転を正当化する理由として、この作り話を利用したのである。

これは、悲しむべきことに、知識人の反逆にほかならない。

結局のところ、この背後には億万長者たちがいて、彼らが自分たちの手駒や彼ら権力者の息がかかった者たちを使っていたことを私は知っている。だが、もし知識人たち、つまり専門的な知識を持ち、効果的に文章を書く能力を持ち、その能力を使う自信を持つ立派な社会人たちが、体制側につかず、最も基本的な疑問を投げかけていたら、アフガニスタン、イラク、シリア、そして、さらに別の十数カ国へと、ロシアと中国の足元まで続く戦争に駆り立てるような負のスパイラルは決して始まることはなかっただろう。

そして、2020年1月、私は再びワシントンDCにいて、完全に仕組まれた、なんの説得力もないコロナパンデミックが大衆に向けて展開されるのを、驚きをもって見ていた。私の同僚たちが最初からこの茶番劇を見抜くだけの知恵があることは分かっていたが、ほとんど例外なく、彼らは熱狂的に、誇らしげに、嬉々として、この茶番劇に加担していたのだ。

彼らの中には医学的な専門知識を持つ者もいて、この邪悪な作戦が信ぴょう性を持つように肩入れしていた。

私は非常に狭量な人間で、特筆すべき業績をあげることはできないが、ただ言えることは、2000年の選挙、9.11同時多発テロ事件、そして、アフガニスタンとイラクとの戦争への推進には明白な不正があるということを見抜いていた。私はその時、これらの犯罪について公然と、そして明確に語ったのである。

そのようにすることが、教育を受けた米国人としての義務だと感じた。それが、ある意味では、私が受けた教育の目的の全てであった。

私の活動、私の免職、そして私がどのように国外に追いやられたかということは、イェール大学やハーバード大学の同僚たちにとって、今でもタブーとなっている話題である。コロナの不正に反対したために、私や私のような人々が受けた仕打ちに言及することも、良識ある人々の間では禁句なのだ。

親愛なる同僚の皆さんにお伝えしたいのは、私にも非があったということである。私は、特に現役世代への働きかけが足りなかったし、変革をもたらす自分の能力を過信していた。私は、アイビーリーグで染み付いたほのかな傲慢さにとらわれ、改めて学び直すのに20年もかかってしまったのである。

これは、私の告白であり、謝罪であり、そして改善に向けての誓いである。

さて、親愛なる同僚の皆さん、今度は皆さんの番である。皆さんが間違っていたことを自分自身と、周りの人に、認めて頂きたい。皆さんは、社会や素晴らしい教育を受けなかった周りの人たちからの信頼を裏切ったのである。その間違いとは、2000年の選挙、9.11テロ事件、アフガニスタンから始まった世界大戦への推進、そして最後にコロナパンデミック作戦に直面して愚かな行為をしたことだ。

私たちは、皆さんの過ちを許すことができる。ただし、それは、皆さんが自らその過ちを認める覚悟がある場合に限られる。

我々は今、皆さんの回答、誓い、そして行動を待っているのである。この国難の時に、皆さんに自分たちが受けた教育を正しく生かして欲しいと願っている。

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